一般社団法人 日本スポーツマンシップ協会

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【NEW】日本スポーツマンシップ大賞2025ノミネート

日本スポーツマンシップ大賞2025
~優れたスポーツマンシップを発揮した個人・団体を表彰~

「日本スポーツマンシップ大賞/Japan Sportsmanship Awards」は、尊重・勇気・覚悟を備えたよきスポーツマンとしての振る舞いや、よきスポーツマンシップを示した個人・団体などを表彰する取り組みです。単なる勝敗を表彰するだけではなく、こうした事例にスポットライトを当てることで、スポーツマンシップの普及・啓発を進める上で、スポーツに取り組むべき姿勢やスポーツを愛するみなさんがめざすべき、スポーツマンという存在の意義・価値がよりわかりやすく伝わることを期待します。

 

ノミネート

日本スポーツマンシップ大賞 ノミネート

体操競技 男子 日本代表

テーマ 団体決勝の舞台で作り上げたGood Game
内容 パリ2024オリンピック体操競技男子団体決勝、TEAM JAPANは2大会ぶりとなる団体金メダルを獲得した。
序盤にミスが出た日本チームは、完璧な演技を連発したライバルの中国チームに対してリードを許す。苦しい展開が強いられるなかで、キャプテンの萱和磨選手は決して諦めなかった。「『オリンピックで金メダルをとりたい』というのが小さい頃からの夢でした。苦しい展開でしたので、僕自身、本当に諦めそうになる場面もあったのですが、それでもやはり『絶対に諦めちゃダメだ』と思っていました。おそらく、みんな「諦めない」という気持ちだったとは思うのですが、あえて互いに声を出し合い、みんなで励まし合ったからこそとれた金メダルだと思います」と語るように、チームメイトを鼓舞し続けた。
こうした想いが、最終種目の鉄棒で橋本大輝選手が完璧な演技へとつながり、日本の逆転金メダルへとつながった。
また、演技もさることながら注目を集めたひとつが橋本選手の立ち居振る舞いである。自身の演技後、観客が大歓声を上げる中、指を唇に当て「静かに」というジェスチャーを示し、これから演技するライバル選手への配慮を見せた。テレビ中継の実況アナウンサーもこの場面を「静かに、静かに、スポーツマンシップです」と紹介し、SNS上でも「これこそが真のスポーツマンシップだ」と称賛された。
この団体戦では岡慎之助選手、杉野正尭選手、谷川航選手らも安定した演技を見せ、チーム一丸となって戦った。なかでも、岡選手は個人総合や種目別でも獅子奮迅の活躍を見せ、団体金メダルを含めて4つのメダルを獲得した。
このようなチームワークの良さが評価され、体操男子日本代表チームは各国オリンピック委員会連合(ANOC)アワードで2024年個人競技最優秀男子チーム賞を受賞。大会を通じて、卓越した演技だけでなく相手を尊重し礼節を重んじる姿勢でも世界に感銘を与えた。
選手の多くが自分の演技が終わるたびに他国の選手やコーチともハイタッチや握手を交わしていたように、お互いの健闘を称え合う尊重の姿勢が身についていることも伝わってくるチームだった。
競技 体操競技
評価 尊重◎/勇気〇/覚悟◎
選考理由 東京2020オリンピックではわずか0.133点差及ばず金メダルを逃して銀メダルに終わったTEAM JAPAN。オリンピックの借りはオリンピックで返す、その悲願への想いの大きさゆえに、プレッシャーの大きさは計り知れないものがあったはずだ。そうした中で、序盤の失敗が重くのしかかる展開になったが、決して諦めないよう大声でチームを鼓舞し続けるキャプテン・萱和磨選手はスポーツマンらしい姿勢を見せてくれた。結果、逆転へとつなげた橋本大輝選手の完璧な最終演技、そして、演技後にその喜びの余韻の中で、次に演技を控える選手に対して気遣う姿勢も、スポーツマンらしかったといえよう。チーム全体が、勇気と覚悟を持って戦い続け、また、決してライバルへのリスペクトを欠かすことがなかったチーム全体の姿勢が、世界王者にふさわしいものだったといえるだろう。
角田 夏美

テーマ 相手を尊重するがゆえの研究心と柔道と向き合う覚悟
内容 パリ2024オリンピック柔道女子48キロ級で金メダルを獲得した角田夏美選手。得意技の「巴投げ」を武器に活躍する角田選手は2023年の世界選手権でも巴投げで優勝を果たしている。ただ、ここに至るまでの道のりは順風満帆ではなく、過去にはケガに悩まされ日本代表落選も経験した。
パリ2024オリンピック行きを決めた後のインタビューでは「目標は金メダル。自分の思いより、支えてくれた皆に、という思いのほうが大きいです。皆がいたからここまで来られたって最近はすごく思います。喜んでくれる人たちに『無事金メダルとれたよ』って報告するまでが自分の中での1セットだと思っています」と周囲への感謝と活躍を誓っていたが、個人戦での金メダル、団体戦での2階級上の相手への勝利など、大活躍を果たし有言実行してみせた。
相手選手が「巴投げ」を警戒する中で次々と一本を勝ち取る秘訣について「自分の持つ不安に向き合い、原因を見つめ、一歩先を考え準備を重ねること」だと語るように、試合前のシミュレーションや準備を大切に、相手の動きを徹底的に研究し、自らの柔道を磨き続けたことが金メダルへとつながったことがわかる。
表彰台では、4人のメダリストたち同士でハグをし合い、試合後のインタビューでも関係者やファンに感謝の言葉を述べるなど、勝者としての誇りを持つ一方で対戦相手や仲間を称えリスペクトする姿勢が際立っていた。
競技 柔道
評価 尊重◎/勇気◎/覚悟◎
選考理由 スポーツにはさまざまな困難がつきものだが、角田夏実選手もケガや代表落選などの苦難を経験しながらも決して諦めず挑戦を続けてきた姿勢に、その強い覚悟が感じられる。
また「金メダルを目指したのは自分のためだけでなく、支えてくれたみんなへの思いが大きかった」という言葉からも、柔道を通じて多くの人とのつながりを大切にし、結果を出すことに強い責任を感じていたこと彼女の想いが伝わってくる。
相手への尊重を決して忘れず、だからこそ、相手選手に研究される状況の中でも、それを上回るように、一歩先を見据えて相手を研究し、自身の柔道を磨き続けた。
また、表彰台では仲間とハグを交わして称え合い、試合後には周囲への感謝の言葉を述べるなど、勝者としての誇りを持ちながらも相手を称える姿勢も多くの人々の心を動かした。
相手を徹底的に分析し、自分の柔道を高める努力を惜しまない姿勢で、オリンピックでの金メダル獲得という偉業を成し遂げるとともに、周囲に対しても感謝の気持ちを忘れないその姿勢こそ、真のスポーツマンとして称えられるべきものだろう。
東京都少年サッカー連盟

テーマ 選手育成を第一に、サッカーを愉しむための大会運営
内容 東京都少年サッカー連盟が運営している「ハトマーク フェアプレーカップ」は東京都内の小学4年生を対象としたサッカー大会である。
この大会は、子どもたちがサッカーを通じて技術や戦術を学ぶだけでなく、スポーツマンシップやチームワークの重要性を理解する場として位置づけられている。
本来11人制でプレーするサッカーだが、本大会では8人制で交代自由とし、一人ひとりの選手がボールに触れる機会をより多くし、みんなで助け合い励まし合って集団で運動する喜びや態度を育てるとともに、ポジションにこだわらず個々に技術を身につけていくことを目指している。
大会形式は、都内の各地でリーグ戦を行い上位チームが中央大会へ進出。これによって地域ごとの交流や競技レベルの向上が図られている。
また、大会期間中にはライブ配信やインタビュー動画の公開が行われ、参加者や観客だけでなく、遠方の家族や関係者も試合の様子をリアルタイムで観戦することが可能となった。地域全体で子どもたちの成長や努力を共有し、応援する体制が整えられた。
本大会では、試合結果だけでなく、フェアプレーの実践や選手の態度も評価の対象となっており、フェアプレー賞やグッドマナー賞が設置されている。
サッカーを通じて子どもたちの健全な育成と地域の連帯感を促進する重要な役割を果たしている。
競技 サッカー
評価 尊重◎/勇気〇/覚悟〇
選考理由 さまざまな環境から刺激や影響を受けやすい小学校中学年という時期に、サッカーを通じてフェアプレーやグッドマナーについて学ぶことができる大会である。JFAが推奨する8人制サッカーを導入し、広くグラウンドを使うことになり、より多くの子がボールを触る機会を得られ、ポジションにとらわれない活躍を期待できるルールは、若年層世代にとってサッカーをより愉しむことができる大会としてデザインされている。また、リアルタイム配信を行うことで、選手の成長が目に見えてわかりやすくなると同時に大会の普及も実現している。運営資金のほとんどがクラウドファンディングで賄われていることからも、本大会に対する多くの賛同が得られていることも示されている。大会を通じて育まれるサッカーの愉しさやフェアプレーの精神の価値観は、選手たちの今後の成長や将来的な社会生活においても大いに役立つものと期待される。
早田 ひな

テーマ ケガを乗り越え掴んだ覚悟のメダル
内容 早田ひな選手は、平野美宇選手や伊藤美誠選手といった同世代のライバルたちと切磋琢磨してきた。いわゆる「黄金世代」の一人として、幼少期から着実に実力を積み重ね、国際大会でも活躍を重ね、ついに、パリ2024オリンピックでは、日本のエースとしてTEAM JAPANを引っ張る立場で出場を果たす。
そして、パリ2024オリンピックでは、卓球女子シングルスにおいて数々の試練を乗り越え、見事に銅メダルを獲得、女子団体でも銀メダル獲得に貢献した。
大会前半、張本智和選手とともに出場した混合ダブルスでは初戦敗退という悔しい結果に終わったが、その後の女子シングルスでは気持ちを切り替え、持ち前の闘志と技術で勝ち進んでいく。準々決勝では、北朝鮮の選手と激戦を繰り広げ僅差で勝利を収めたが、この試合中に左腕を負傷してしまう。
続く準決勝では、世界ランキング1位の孫穎莎選手(中国)と対戦。左腕の痛みを抱えながらの試合となりストレートで敗れた。のちに早田選手はこのときのことを「さすがに限界を感じた」と明かすように、試合後は棄権も考えるほどの腕の状態であったという。
それでも3位決定戦に向けて、彼女とスタッフたちは諦めなかった。チームやスタッフのサポートを受けながら、痛み止めの注射を打ち左腕をテーピングで固定して、韓国のエース、シン・ユビン選手との試合に臨んだ。第1ゲームを落とす苦しいスタートだったが、第2ゲーム以降、得意のフォアハンドドライブを駆使してペースをつかむと、ゲームカウント4-2で勝利を収めた。勝利が決まった瞬間、早田選手はコートに座り込み涙を流した。
さらにその後の団体戦でも、平野美宇選手、張本美和選手とともに戦い続け、中国にこそおよばなかったものの銀メダルを獲得。悲願の初出場を果たしたこのオリンピックで、見事に2つのメダルを手にしたのである。
競技 卓球
評価 尊重◎/勇気〇/覚悟◎
選考理由 思わぬケガに見舞われ、圧倒的な不利な戦況のなか、早田ひな選手は銅メダルを勝ち取った。3位決定戦は出場すらも危ぶまれる状態だったが「この舞台を4年後にまた経験できるかというと、そうとは限らない」と語ったように、覚悟を持って戦いに挑んだ。勝ち筋を模索し全てのエネルギーを絞り出す勢いで逆境を乗り越える姿勢はスポーツマンらしいものであった。また、試合後のインタビューでは「朝の4時までケアしてもらい、皆さんの体力や睡眠を削ってでも私に時間を使ってくれた」とチームスタッフへの感謝を口にし、「この状況でメダルがとれたのは金メダルよりも価値がある」と語った。逆境に立ち向かう意志の強さ、卓球に対する情熱と目の前の試合に全力を尽くす姿勢、チームや周囲への感謝、早田選手の姿勢はまさにスポーツマンシップの在り方を体現している。
バレーボール 男子 日本代表

テーマ ネーションズリーグにおける外国ライバルチームとの交流
内容 バレーボールネーションズリーグ2024福岡大会において、男子日本代表チームは、第2戦でフルセットの末にドイツを下し、福岡大会での2連勝を飾った。セリエAでも中心選手として活躍するキャプテン・石川祐希選手を中心に、TEAM JAPANが世界で戦えるようになってきたことを示す結果でもあった。
そして試合後、日本のセッターである関田誠大選手と、ドイツのアウトサイドヒッターであるフロリアン・クラーゲ選手が、互いの健闘を称え合い、2ショット写真に収まった。関田選手の身長は175センチ、クラーゲ選手は191センチであり、その身長差は16センチであるがクラーゲ選手が頭を傾けて関田選手に寄り添う姿が印象的であった。
この写真が、福岡大会の公式SNSで公開されると、ファンからは「また話している姿を見られて嬉しい」「話しに来てくれてありがとうクラーゲ」といった声が寄せられた。関田選手とクラーゲ選手は、ポーランドリーグのクプルムルビンでチームメートだった経緯があり、国境を越えた友情が注目を集めた。
また、試合前のアップ中には、日本の宮浦健人選手とドイツのエバデダン・ラリー選手が交流する場面が見られた。さらに、ヨーロッパで活躍する石川祐希選手、高橋藍選手、西田有志選手らが観客席をバックに撮影した集合写真も公開されると、ファンからは「それぞれの写真に選手同士の関係性が垣間見える。全部良い写真」といったコメントが寄せられた。
プレーヤーのレベルが高くなり、本場ヨーロッパで活躍するプレーヤーたちも増えつつある日本男子バレー界にあって、プレー面だけではなく、このようなチーム内外選手同士の交流や友情などを見せてくれたことは、多くのファンに興奮と感動を与えたのである。
競技 バレーボール
評価 尊重◎/勇気〇/覚悟〇
選考理由 石川祐希選手がキャプテンとしてチームを牽引し、周囲を鼓舞しながらよきチームが創られていったことはすばらしい。
そのようななかで、関田誠大選手とフロリアン・クラーゲ選手の再会は、国境を越えた友情の美しさを示した。試合後、互いの健闘を称え合いながら写真に収まる姿は、競技を超えたリスペクトを表現するものであり、バレーボールに限らずスポーツがもたらす価値、絆の強さを感じさせるものであった。また、宮浦健人選手とエバデダン・ラリー選手の試合前の交流も、選手間の温かい関係を示す一例である。さらに、石川祐希選手、高橋藍選手、西田有志選手らが仲間と撮影した集合写真には、チームの結束と友情が映し出されていた。
こうした試合外の場面では、スポーツが単なる勝敗を競うものではなく、人と人とをつなぎ、互いを尊重し合う場であることを再認識させられる。異なる文化や言語を背景とする選手同士が、バレーボールを通じて築く友情は、スポーツが持つ価値や力の大きさを物語っている。
フェンシング TEAM JAPAN

テーマ 取り組んだ改革の結実とそれに応えたスポーツマンたちの勇姿
内容 パリ2024オリンピックでは、エペ、フルーレ、サーブルとすべての種目において、男女ともに目覚ましい活躍をみせたフェンシングTEAM JAPAN。過去には、北京2008オリンピックの男子フルーレ個人で太田雄貴氏が日本勢初となる銀メダルを、ロンドン2012オリンピックでは男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した。その9年後となる東京2020オリンピック男子エペ団体で金メダルを獲得する歴史的快挙を成し遂げた。
パリ2024オリンピックでは、東京2020オリンピック金メダリストでもある加納虹輝選手が男子エペ個人で頂点に立ち、日本フェンシング史上初となる個人金メダル獲得を果たした。これを皮切りに、女子フルーレ団体が銅、男子エペ団体が銀、女子サーブル団体が銅、そして、男子フルーレ団体が金と、金メダル2個を含む計5個のメダルを獲得し、国別の競技メダル数でも最多という結果を残した。
華々しい結果の裏には、「悔しさ」という原動力があった。金メダルを獲得した男子フルーレチームのなかで最年少だった飯村一輝選手も、個人戦では3位決定戦に敗れて4位という悔しい結果に終わり、試合後3日間は後悔の気持ちが大きく苦しかったというが、団体戦までに気持ちを切り替え、「今を楽しもう」という気持ちになれたという。ほとんどの選手が個人戦では思うような結果が残せなかった中で、そこから立ち直るレジリエンスを発揮し、団体では出場したすべての種目でメダル獲得を果たすこととなった。
日本フェンシング協会のガバナンス見直しによる立て直し、最新のテクノロジーを駆使したデータ分析、スカウティングから育成まで一貫した強化施策、さまざまな関係者の努力が結実した成果でもあった。そしてなにより、そうした環境の下で、期待に応えたフェンサーたちのスポーツマンシップあふれる立ち居振る舞いや言動が、日本中に勇気と感動を与えた。
競技 フェンシング
評価 尊重◎/勇気〇/覚悟◎
選考理由 近年、日本フェンシング界はめざましい進化を遂げ、世界でも通用する競技力を誇るようになった。そして、パリ2024オリンピックの舞台でも、参加した男女すべての種目でメダルを獲得し、新たな歴史を創った。
代表選手も、同じ国の団体代表として結束して戦うメンバーであっても、個人戦ではライバル同士である。ライバルとして尊重してし合う仲間だからこそ、いざチームとして集結した際には大きな力を発揮できるともいえよう。東京2020オリンピックでの敗北、パリ2024オリンピックでも団体戦に至るまでの個人戦での悔しい想い、これらを糧にして「今を愉しむ」という前向きな覚悟が、彼らの大きな力になったことだろう。
フェンシングの母国で開催されたオリンピックで、体格面などでも海外選手にディスアドバンテージを負いがちなTEAM JAPANがチームワークで果敢に挑み結果を残した姿、またライバル国と称え合う姿勢などから、騎士道精神にも通じるスポーツマンシップが感じられた。
堀米 雄斗

テーマ スケボーの未来を信じ、最後まで諦めずに成し遂げた奇跡の連覇
内容 パリ2024オリンピック、スケートボード男子ストリートで2大会連続となる金メダルを獲得した堀米雄斗選手。
スケートボードのストリートは、階段やレールなどが設置されたコースで、45秒の間に何回も技を繰り出す「ラン」を2回、一発の大技で勝負する「ベストトリック」を5回行い、「ラン」の最高得点と「ベストトリック」の上位2つの得点を合わせた3つの総得点で順位を競う。東京2020オリンピックでは、計7回のアタックのうち、全トリック上位4つのスコアで判定されていたが、大会後ルール変更があり、ラン・ベストトリック両方のバランスが重視されるようになった。「ベストトリック」を得意としていた堀米選手を苦しめる変更で、パリの舞台に立つことすら危ぶまれるなか、オリンピック前最後の大会で優勝してギリギリで出場を決まったのが事実だった。
迎えたパリ2024オリンピック決勝。東京2020オリンピックで初代金メダリストとなり、連覇へのプレッシャーも重くのしかかるなか、前半の「ラン」を終えた時点で4位。後半の「ベストトリック」では1本目に高得点をマークしたものの、その後3本続けてミスを重ね、後のない7位という状況で迎えた最終5本目で、実戦ではわずか1度しか成功していない大技に挑戦すると、見事に着地を決め、大会最高得点となる97.08を記録。劇的な大逆転で連覇を達成した。
「1%の可能性を最後まで信じてやった」という一方で「本当に2連覇できたことが信じられないし、夢のような時間」と本音も口にした堀米選手。自らを苦しめたルール変更も「最初からすごく緊張感が高まるようになりましたし、スケートボード全体のレベルも上がったと思います。スケートボードの未来はすごく楽しみ」と前向きにとらえる。また、「オリンピックにも出ているだけでも本当にすごいスケーター。みんながここまでくるためにどれだけハードワークをしてきて、国を背負って戦っているかもわかっている。だからこそ、リスペクトしかない」とライバルたちの存在を認めつつ、そのなかで、プレッシャーや逆境を乗り越えて結果を残す真の力強さが多くの人に感動と勇気を与えた。
競技 スケートボード
評価 尊重◎/勇気◎/覚悟◎
選考理由 堀米雄斗選手の連覇への道のりは決して平坦ではなかった。ランの重要度が増す大幅なルール変更は彼を苦しめ、パリ2024オリンピック出場を決めたのは大会直前の6月だった。決勝の舞台でも難しい展開となり、最終トリックを前にメダル圏外の7位となってしまっていたが、最後まで諦めることなく、ラストトリックで超大技を決めて見事な逆転劇を演じてみせた。自らに不利となるルール変更も、スケートボード全体のレベルが上がったとポジティブに受け止める姿勢。ディフェンディングチャンピオンとしてオリンピックを大切にする想い、ほぼ絶望視された中でつかんだオリンピックの切符。その舞台で、ライバルたちを尊重しつねにリスペクトする気持ち、そして絶体絶命のシーンでも自らを信じてリスクを恐れずに大技に挑んだ勇気、勝利を掴み取るために最後まで諦めず全力を尽くす覚悟。まさにスポーツマンシップを体現した堀米選手の姿がそこにあった。

日本スポーツマンシップ大賞 ヤングジェネレーション賞 ノミネート

工藤 琉人(日本体育大学付属高等支援学校)

テーマ 情熱と努力でつかんだ未来 独立リーガーへの挑戦
内容 北海道出身の18歳・工藤琉人選手は、軽度の知的障がいがあり、日本体育大学付属高等支援学校(網走市)に通う高校3年生だ(当時)。小・中学校では軟式野球チームに所属し野球への情熱を育んだが、進学した同校には野球部がなく、陸上部に所属することとなる。それでも野球への想いを捨てきれず、個人的に素振りなどの練習を続けてきた。
高校3年生の夏、工藤選手にとって大きな転機が訪れる。全国から高校3年生が個人参加で集まる野球のリーグ戦「LIGA Summer Camp 2024 in 北海道」が初開催され、参加を決意したのである。甲子園出場は逃したものの、夏休みに実践を積みたい選手、プロ野球や大学野球など次のステージに向けた経験を得たい選手、高校野球をやり切りたい選手など、多様な背景を持つ52名が北海道に集結し、11日間共同生活を送りながら練習や試合に打ち込んだ。工藤選手は彼らとともにプレーし、互いに高め合いながら技術を磨いた。卓越した身体能力を発揮し、7試合に出場して打率.278、5打点の成績を残した。この活躍が、北海道フロンティアリーグ「KAMIKAWA・士別サムライブレイズ」の目に留まり、トライアウトを経て入団が決まった。菅原大介球団代表は「印象に残ったのは、野球をやりながらキラキラしていたこと」と、工藤選手がLIGA参加者の中でも光る存在だったことを明かす。
工藤選手は「3年間のブランクがあるから、まずは1年頑張りたい。支援学校に通う子たちもいるので、勇気を与えられる選手になりたいです。今まで僕みたいな野球選手はいなかったので、先頭を切っていきたい」と話す。また、「LIGAでは初めて会った選手たちとチームを組んで野球ができ、これからも頑張ろうと思いました。プロ(NPB)に行った子もいるし、負けないようにこれからも努力していきます。家族のおかげでLIGAに参加でき、独立リーグにも入れたので、そういう感謝をプレーに込めていきたいです」と意気込みと感謝の気持ちを語る。
競技 野球
評価 尊重◎/勇気◎/覚悟◎
選考理由 工藤選手の挑戦する姿勢には、スポーツマンシップの本質を感じる。特別支援学校で野球部がなく大好きな野球をプレーできない状況の中、個人で練習を続けたことに加え、生徒会では副会長、陸上部では主将を務めるなど、目の前のできることに向き合い続けた。「LIGA Summer Camp」は全員でスポーツマンシップを学ぶところからスタートした。そして、全国から集まった多様な仲間と互いを尊重しながら高め合えたこと、その出会いが大きな刺激になったことや家族への感謝を口にする。初開催のイベントであり、かつ、見ず知らずの選手たちが集まるこのキャンプに参加を決めたこと自体が、強い勇気の表れといえる。そして、独立リーガーの道へと進み「勇気を与えられる選手になりたい」という言葉にも、自らの経験をいかして社会に還元していこうとする覚悟が窺える。尊重・勇気・覚悟を体現し、諦めることなく挑戦を続ける彼の姿は、誰でもスポーツマンになれること、そして、スポーツマンシップで困難を乗り越え、可能性を広げていけることを教えてくれる。
玉井 陸斗

テーマ プレッシャーを力に変え自分を信じて獲得した銀メダル
内容 男子高飛込で活躍する玉井陸斗選手は、14歳にして初出場を果たした東京2020オリンピックで7位入賞という結果を残し、当時から大きな注目を浴びてきた。しかし、パリ2024オリンピックの1年前に腰痛が悪化、満足に練習もできない状態となってしまう。玉井選手本人も「ケガをして思うようにいかない時間が長くて、心が折れてしまいそうなこともあった」と語るほど苦しい時期を過ごすことになる。そこから「今できることをやる」と気持ちを切り替え、フォームや練習内容を見直す期間としてプラスに捉え「成長」に繋げていった。そして17歳で出場したパリ2024オリンピックで銀メダルを獲得し、飛込界では日本人初となるメダリストに輝いた。
玉井選手はダイナミックな空中での演技と入水時の水しぶきの少なさを強みとしている。パリ2024オリンピックでは、予選2位、準決勝3位で通過して迎えた決勝でも、次々に素晴らしい技を見せていく。中国・曹縁選手との一騎打ちムードとなり、金メダルの期待も高まる展開となったが、全6回中5回目の演技で、苦手意識のあった「307C」という高難度の技で入水が大きく乱れてしまい、順位も3位へと後退。そのようななかで、プレッシャーのかかる最終6回目の演技で、自身が得意としている「5255B」を入水まで完璧に決め、出場選手中で最も高い99.00をたたき出し逆転での銀メダル獲得となった。
4位入賞となったカシエル・ルソー選手(オーストラリア)から抱擁され祝福を受けた玉井選手。ライバルたちとその存在を認め合う姿、そして、自分を信じて最後まで諦めず最高の演技を見せた精神力、若きエースが示したスポーツマンシップが、日本人初のメダル獲得の裏に垣間見えた。
競技 水泳/飛込
評価 尊重◎/勇気◎/覚悟◎
選考理由 ケガで苦しい時期を過ごすが、前向きに切り替え、「いま」に集中して乗り越えていった。オリンピック決勝の舞台、そして日本人初のメダル獲得というプレッシャーのかかる中でも、演技に集中し技を完璧に決めていった背景には、苦しい時期を乗り越えた経験が生かされていた。「プレッシャーに負けてしまっては一流にはなれないと思います。プレッシャーを力に変えられるからこそ、結果もついてきます。自分の力、そして、応援してくださる方々の力も含めて演技を通して表現できたら」と語っているように、自らを信じ、支えてくれた周囲への感謝を力にして、自分の最高の演技に繋げた姿勢はすばらしかった。また、「ライバルでありながら友達、お互い高め合えるような関係。メダルや結果がどうであれ、お互いに賞賛し合える」というカシエル・ルソー選手と称え合うリスペクトの精神も、多くの若きプレーヤーの見本といえる姿であった。
開 心那

テーマ スポーツの本質を理解し、よき仲間たちと高め合う15歳
内容 パリ2024オリンピックで銀メダルを獲得し、2大会連続でメダリストとなった開心那選手。5歳でスケートボードを始め、東京2020オリンピックでは、12歳11ヶ月で銀メダルを獲得し、日本人史上最年少のメダリストとなった。
彼女の強みは、ポジティブな性格と難しいトリックに挑戦し続ける姿勢にある。練習中は、技が成功するまで諦めずに取り組むことを信条とし、失敗を恐れず、自分自身の成長のために挑戦をやめない。そしてなにより、スケートボードを心から愉しみながら滑る姿が印象的である。好きな音楽を聴きながら、成功した時のイメージトレーニングを行い、メンタル面での工夫も欠かさない。「痛い思いをしながら何回も何日もトライして、難しいトリックをメイクした時の嬉しさや達成感が好きなんです」と語るように、自分だけのスタイルにこだわり、努力を続けてきたことがよい結果へとつながっている。パリ2024オリンピック後のインタビューでも、自らの演技について「自分では完璧とはなかなか言えないですよね。でも、今回のオリンピックでは自分の出せる力を本当に全部出し切ったので、後悔もなく満足できた大会でした。これでもしメダルがとれていなくても、後悔はなかったと思います」と語っている。スケートボードというスポーツに取り組みながら、自らと向き合う姿勢の大切さを教えてくれるアスリートである。
そしてなにより、彼女はスケートボードを愛する仲間たちを大切にしている。またオリンピックでメダルを競い合う中でも「自分より先に滑ってフルメイクした人がいたら褒めたり、『すごかったね』と声をかけたりしていました」と話すように、ライバルたちの存在について仲間であるととらえ、意識を高め合い成長を刺激し合える存在としてリスペクトを忘れることがない。世界中の人々とスケートボードを通じてつながりたいという思いを持ち、その姿勢が彼女の競技人生を豊かにしているといえよう。
競技 スケートボード
評価 尊重◎/勇気◎/覚悟◎
選考理由 弱冠15歳にして、オリンピック2大会連続銀メダルという快挙を成し遂げた開心那選手。彼女は、オリンピック出場をかけて競い合う日本人のライバルたちについて、「大会で戦う以上、同じTEAM JAPANであってもライバル同士になってしまいますが、自分はライバルと思うタイプではないですし、やはり互いに支え合う存在だと感じています。勝っても負けてもどんな時もみんなで称え合うし、一人ひとりスケートボードのスタイルも全然違いますし、本当にすごくいい関係、よき仲間だと思います」と語っている。外国人選手も含め、スケートボードで競い合うプレーヤーたちの存在を、互いを高めあうよき仲間と認める気持ちが彼女の姿勢から窺い知れる。同じ競技を愛する選手たちへの尊重、自分自身最高の演技に挑戦する勇気、そして、自分のスタイルを磨き続ける覚悟。仲間たちと一緒に好きなスケートボードを自分が納得するまで突き詰めていく姿は真のスポーツマンである。
弘前学園聖愛高等学校 野球部

テーマ 習慣に疑問を持ち、選手たちが自ら考えた平和的な入場行進
内容 2024年7月に開催された第106回全国高等学校野球選手権青森大会、いわゆる「夏の甲子園」地区大会決勝、青森山田高等学校と弘前学院聖愛高等学校の対戦は4対3の大熱戦となり青森山田が7年ぶりの甲子園出場を決めた。この青森大会、話題となったのはその結果だけではなかった。
開会式の入場行進では、各校の選手たちが手と足を大きく上げきびきびと軍隊式の行進をしているなか、弘前聖愛の選手たちはオリンピック開会式のようにスタンドに手を振りながら入場した。高校野球の入場行進としては異例な形態であったが、実は1年前から考えられていたものだった。
野球部の監督を務める原田一範氏は、「聖愛はキリスト教を理念とする学校で、平和教育に力を入れています」と説明するように、軍隊式の入場行進が同校の校風に合わないと考えていた。選手たちも同様の想いを持ち、2023年の大会前にミーティングをして平和的な入場行進としてオリンピックのようなパフォーマンスを思いついたという。開会式のルール的にも問題はなかったが、2023年の開会式は雨で中止となってしまった。そして、1年後の2024年、本大会前に主将(当時)の貴田光将選手を中心にあらためて部員同士で話し合いが持たれ「今年こそは」と実現に至ったのである。
「聖愛高校」というアナウンスの後、選手たちが手を振りながら入場するとスタンドからは大きな歓声が上がった。
競技 野球
評価 尊重◎/勇気◎/覚悟◎
選考理由 弘前学院聖愛高等学校野球部の理念は「高校野球を通じて自立し、強く生き抜いていく力を養い、全部員の成長と幸福を追求し、次世代を担う社会に貢献できる人財を形成する」というものである。この理念を実現するための一つの要素として、監督が選手にサインを出さず、選手の自発性や考える力を養おうと挑む「ノーサイン野球」は、聖愛高校野球部の大きな特徴にもなっている。
この理念は掲げられているだけでなく、選手たちにも浸透している。事実、今回の入場行進についても選手が自分たちで考え出して実現に至っている。甲子園行きを阻まれ悔しい想いの中での決勝戦後の閉会式においても、選手たちは開会式と同じように、自分たちで決めたスタイルでスタンドに手を振ってみせた。それは、応援に来てくれた方々への感謝でもあり、爽やかなグッドルーザーの姿でもあった。閉会式後、報道陣から「もし、決勝で勝っていてもあのパフォーマンスはやっていたのか」と問われた貴田主将は、「やらなかったです。勝ってやっていたら、調子に乗っているように見えるし、相手が嫌な気持ちになると思うので」と答えた。
古きよき伝統や慣習も、その昔、誰かが創り出したものである。慣習を疑い、自ら思考し、伝統を創り出し実践する、という考え方も私たちが大切にすべき視点であり、それを実現したのが弘前聖愛のメンバーたちだといえよう。悔しい気持ちのなかでもつねに相手への配慮をもちながら、スポーツマンらしい態度を示してくれた。
藤原 優希(前橋育英高等学校サッカー部GK)

テーマ しびれる場面で守護神が見せた尊重・勇気・覚悟
内容 どちらが勝ってもおかしくない、非常に緊迫した場面であった。
第103回全国高等学校サッカー選手権大会決勝、前橋育英対流経大柏の一戦は後半戦を終えた時点で1対1となり、10分ハーフの延長戦でも決着がつかずPK戦にもつれ込んだ。両チームのキッカーが互いに決め合い、7人目まで全員が決めていく。迎えた8人目。前橋育英のGK藤原優希選手(当時3年)が好セーブ。次にゴールを決めれば優勝という場面を迎え、白井誠也選手(当時2年)は枠を大きく外してしまい、勝負の行方は9人目へと続くことになった。このPK失敗に白井選手は泣き崩れて動けなくなってしまう。そこに駆け寄ってきた藤原選手は、白井選手を起き上がらせるように抱えると「俺がもう1本止めるから。任せとけ」と声をかけた。その言葉通り、藤原選手は再び10人目を止める。そして8-8で迎えた前橋育英の10人目となる柴野快仁選手が見事にゴールを決め、試合終了のホイッスルが鳴った。
GK藤原選手は、当初監督から4人目のキッカーに指名されたが、「止めることに集中させてください」と監督に自ら伝えて断り、11人目に回ったという。試合後、「ありがとうございました」という白井選手からの言葉に、「お前が外したおかげで、俺の見せ場ができたよ」と笑顔で返した藤原選手。PK戦を前に、主将の石井陽選手からキャプテンマークを授けられた藤原選手は、「責任持って止めなきゃと感じました」と語ったように、チームの守護神としての覚悟が優勝をもたらせた。
高校サッカー選手権決勝史上最長となったこの試合は、後輩の悔し涙をうれし涙に変え、会場中が温かい拍手に包まれた。
競技 サッカー
評価 尊重◎/勇気◎/覚悟◎
選考理由 全国の高校生たちの頂点を決める決勝戦。それもPK戦という舞台で、冷静に自分自身がやるべきことを判断し自分の意志を勇気を持って監督に伝え、戦術の変更を監督に受け入れさせたことから、プレーヤーたちが日常的に自ら主体的に考えられていること、そして、チーム内で監督と選手が尊重し合える関係を築けていることが窺い知れる。
PK戦は、シュートを決めれば相手も決める、セーブすれば相手にセーブされるという互いに譲らない互角の展開となった。ピッチ上の選手にとっては、「失敗が許されない」という大きなプレッシャーがあったことだろう。それはキッカーだけでなく、チームの守護神であるGKも同様である。極限のシチュエーションのなかで、自分のことに集中したい場面でも、後輩に寄り添って気遣い、チームのために「自分が止める」という強い覚悟をもって有言実行した姿は大変頼もしく、称えられるべきものである。
古川 大晃(東京大学大学院)

テーマ 諦めなければ夢は叶う、29歳でつかんだ箱根駅伝初出場
内容 2025年正月、第101回東京箱根間往復大学駅伝競走、いわゆる「箱根駅伝」で目を引いたのは、関東学生連合のメンバーとして初出場を果たした東京大大学院の古川大晃選手である。東京大学大学院総合文化研究科博士課程4年の古川選手は箱根駅伝について「高校3年の進路相談で泣いて相談するくらい出たかった。それくらい憧れの舞台」と話している。
陸上を本格的に始めたのは高校入学後。記録は飛躍的に伸びて、箱根出場大学からも声が掛かったという。しかし国立大学をめざすことになり、1浪の末、熊本大学に進学。その後、陸上競技は続けながらも九州大学大学院の修士課程に進む。そして『走ること』を研究テーマにしつつ、東京大学大学院の博士課程に進むことを決意、一度は諦めた箱根駅伝をめざせる環境を整えた。
博士過程1、2年時の第98回、第99回大会では関東学生連合チームに選出され、憧れの舞台に近づいたが、補員としてに本戦には出場できないまま終わった。3年時の第100回大会では記念大会ということで関東学連チームが編成されず、連合チームの在り方について関東学連に働きかけもした。2024年度、博士過程4年目を迎え、箱根駅伝予選会で全体5番手のタイムを出し、再度関東学生連合チームに選ばれた。そして迎えた第101回箱根駅伝で、関東学生連合チームの主将として9区を走り、29歳の東大大学院生として初めて箱根路を駆け抜ける夢を叶えたのである。給水係には、東京大大学院教授の恩師である八田秀雄教授を指名。「給水おじさん」として、自身の走りとともに多くの注目も集めた。
レース後には「もっといい走りをしたかったので悔しさもありますが、沿道からはすさまじい応援で、最後は笑顔でタスキを渡せたのでよかったです。高校時代にどうしても出たかった箱根駅伝の夢をこんなところで叶えられました。たくさんの人に支えられました」と語った。
競技 駅伝
評価 尊重◎/勇気◎/覚悟◎
選考理由 古川大晃選手が、高校3年時から10年以上の歳月をかけてつかんだ箱根路を走る夢、それは並大抵の覚悟で到達できるものではなかっただろう。大学・大学院修士課程と箱根駅伝の出場が叶わない九州で7年間を過ごし、その間も自分を磨き続けた。そして、大学院博士課程で関東にある東京大学大学院を選び、自ら夢をつかめる環境を整えた。そして話題となった東大大学院の八田秀雄教授からの給水。古川選手は自身のXで「僕が凡走し、連合チームの10番以内に入れなかった博士2年の予選会、八田先生は尻もちを着き、1番悔しそうに天を仰いでらっしゃいました。八田先生を喜ばせたい。そんな思いがありました」と投稿している。古川大晃選手の絶対に諦めない覚悟、自ら勇気をもって環境をつくり上げる姿勢、そして、周囲に対する尊重や感謝の想いと行動。夢を叶えた箱根駅伝の舞台に、彼の生きざまが詰まっていた。
流通経済大学付属柏高等学校 サッカー部

テーマ 悔しさを受け入れ人生を通して追い求めるスポーツマンの姿
内容 第103回全国高等学校サッカー選手権大会の決勝戦で、流経大柏は前橋育英と対戦。1-1の同点の末、PK戦へともつれたが、9−8で敗れた。
試合後、流経大柏の榎本雅大監督は、「相手のチームも含めて、自分たちも含めて、非常に素晴らしい決勝戦だったと感じています」と試合を振り返った。また、PK戦については「非常に複雑な勝敗を決める方法ではあるが、選手たちは最後まで流経らしく戦ってくれた」と述べ、選手たちの健闘を称えた。 さらに、選手たちへのメッセージとして、チームが負けてしまったことに対する申し訳なさがあると同時に感謝の気持ちも伝えながら、「今日のゲームをもう一度振り返って、どうするべきだったか、どうやったら強くなれるのか、上手くなれるのか、勝てるのかということを自問自答していくことが先につながる」と話し、「今日悔しい思いをしたから、もっと強くなって、この流経サッカー部を超えろ。人としてな。もっと強くなれ。勝てるように。もう一回大きい夢もって、もっと大きい男になれ」と今後の人生に向けたエールを送った。
キャプテンを務めるセンターバックの佐藤夢真選手は、「今大会はいろんな強豪校とやらせてもらいましたけど、自分たちがビビって受け身になるっていうことは本当になかった。今日の決勝でも、それを体現できた」と述べ、J2カターレ富山でプロ入りが内定している亀田歩夢選手は「本当に後悔なくやりましたし、自分たちが一番強いと思ってここまでやってきた。楽しかったですし、日本一のチームだと自分は思っています」と胸を張った。また、DF奈須琉世選手は「本当に楽しそうに、伸び伸びとやっていましたし、得点は入らなかったんですけど、後ろから見ていてもすごく気持ちよかったので、悔いはないです」と攻撃陣に感謝の意を示した。
技術と体力だけでなく、高い人間力も備えたチームであったといえよう。
競技 サッカー
評価 尊重◎/勇気〇/覚悟◎
選考理由 頂点まであと一歩で届かなかった悔しさは計り知れない。選手が試合終了後のロッカールームで下を向いて泣いているなかで、感謝を伝えた榎本監督の言葉に、このチームの魅力が詰まっていた。敗れてなお、自分たちが一番だと自信をもっていえるように、練習を積み重ね、試合を戦い勝ち進んできた選手たちの姿も立派である。全国大会優勝という成績は称えるべき立派な結果であることはもちろんだが、この大舞台で最後まで戦い抜いた先の悔しさと勝者を称える潔さは、今後の人生におけるさまざまな場面で「もっと大きくなりたい」という成長の原動力につながるはずである。

発起人・川淵三郎氏よりメッセージ

スポーツマンシップを身につけた真のスポーツマンこそが
現代の日本にもっとも必要な存在である。

日本スポーツマンシップ大賞/Japan Sportsmanship Awards
発起人代表
川淵三郎(一般社団法人日本トップリーグ連携機構 代表理事会長)

各賞概要

日本スポーツ界において、尊重・勇気・覚悟に代表されるスポーツマンシップを発揮した中で、最も印象的な個人・団体を「グランプリ」として、学生など若い世代を対象とした最も印象的な個人・団体を「日本スポーツマンシップ大賞 ヤングジェネレーション賞」として表彰します。

審査委員

※敬省略/50音順、肩書きは審査委員会開催当時(2025年4月13日付)

◆審査委員長
中村聡宏(一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 代表理事会長/立教大学スポーツウエルネス学部 准教授)

◆審査委員
江口 桃子(日本スポーツマンシップ協会 理事/アナウンサー)
太田 雄貴(国際オリンピック委員会 委員/国際フェンシング連盟 理事)
大山 加奈(元バレーボール日本代表/日本車いすラグビー連盟 理事/日本女子ソフトボールリーグ機構 理事)
島田 慎二(ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ チェアマン(代表理事CEO)/日本バスケットボール協会 副会長)
高橋 勇市(パラリンピアン/アテネパラリンピック 視覚障害マラソン金メダリスト)
益子 直美(元バレーボール日本代表/日本スポーツマンシップ協会 理事/監督が怒ってはいけない大会 代表理事)
森林 貴彦(慶應義塾幼稚舎 教諭/慶應義塾高等学校 野球部 監督)

日本スポーツマンシップ大賞2025概要

名称

日本スポーツマンシップ大賞 2025

目的

当該年度において優れたスポーツマンシップを発揮した個人・団体を表彰することで
スポーツマンシップの正しい普及・啓発をおこなう

開催日程

2025年6月29日(日)14:30~17:00

開催場所

HRソリューションズ株式会社 セミナールーム

内容

・グランプリ、ヤングジェネレーション賞の発表

主催

一般社団法人日本スポーツマンシップ協会

 

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